ff 診察室こぼれ話

児島医院から児島クリニックへ──変わるのは名前、変わらないのは想い

児島医院は9月1日から児島クリニックとして生まれ変わりました。わたしたちは神戸のこの地にて64年間みなさまとともに歩んで参りました。
前院長、父親の児島哲郎は大正15年生まれの99歳。鹿児島県長島町の出身です。熊本医科大学(現熊本大学医学部)を卒業して、1961年に神戸市東灘区深江北町で開業しました。旧医院の前の道は当時は深江栄通りという地名で、今は北向き一方通行の道路も昔は両方向通行で、バスが通っている賑やかな通りでした。西側にある県営住宅も木造平屋建てでした。
旧児島医院も当時は木造2階建てで1階が診療所、2階で私たち家族が住んでいました。今では医院と住居は別の医療機関がほとんどですが、当時はこのような開業の形態が普通でした。

前院長は外科医でしたので、手術室、病室、看護師の住まいを備えていて、看護学生も学校に通いながら働いていました。入院患者さんたちの病院食は亡き母の手料理で、「美味しい」と評判だったそうです。私は3人姉弟でしたので、2階で飛んだり跳ねたりさわいだりすると階下の入院患者さんからよく𠮟られていました。

 

1994年、私たち家族4人はアメリカ留学から帰国し、翌年春には児島医院を引き継ぐ計画でした。しかし1995年1月、阪神淡路大震災が起こりました。町はかなりの被害を受け、建て替え中だった児島医院も建築が途中で中断、いろいろ相談しながら、わたしたちは大阪市西成区で別に医院を開業することに決めました。その後19年間父は引き続き深江で、わたしは大阪市で別々に診療、木曜日の午後診だけ大阪から診療のために通う日々が続きました。

2014年、両親の高齢化に伴い、わたしは深江の診療所を継承するため西成区の診療所を閉じてこちらに引っ越してくる決心をしました。その後、わたしが児島医院の院長に就任しましたが、前院長はコロナ禍の前まで1週間に1回、変わらず診療を続けていました。
わたしは青い鳥幼稚園出身の地元民です。大学は日本大学医学部に進学しました。妻は子どもの手が離れてから看護学校を卒業しました。長男は大阪医科大学卒業後泌尿器科医となり、現在は堺市で在宅クリニックの医師として働きながら、土曜日午前中のみ児島クリニック副院長として泌尿器科の診療を担当しています。長女は関西学院大学卒業後看護師となり、高槻市の病院に勤めていますが、ゆくゆくは児島クリニックで働きたいとのことです。
児島クリニックに生まれ変わりましたが、診療体制は今までと同じですので、安心してご来院ください。

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あれこれ情報版

9月1日、児島医院は鳴尾御影線沿いに新築移転します。今の診療所から南西に約100mのところにあります。車を3台駐車することができます。自転車置き場も設置。(2 階、3階は賃貸マンションです)

★今後の予定 ★
8月 28 日(木) 午前中診療(午後休診)
29日(金) 引っ越し作業のため 1日 中休診
30日(土) 内覧会( 10 時~ 15 時)
ご自由にご見学ください
9月 1 日(月) 児島クリニックとして新規開業
夏季休診のお知らせ
8 月 12 日(火)から 16 日(土)まで休診
8 月 18 日(月)より平常通り診療します。